時刻同期 — GNSSは「時計」を配るシステム
なぜ測位の話に時刻が出てくるのか。衛星の原子時計と、世界の時刻同期を支えるGNSSの裏の顔
なぜ「測位」なのに「時刻」の話ばかり出てくるのか
GNSSの測位は、突きつめると「電波が衛星から届くまでの時間」を測ることです。電波は光の速さ(約30万km/秒)で進むので、時間さえ分かれば距離が分かる。距離 = 光速 × 飛行時間、という関係が測位の心臓部です(→ 擬似距離のページ)。
つまり、時計が1ナノ秒ずれるだけで距離が約30cmずれる。数mの測位精度を出すには、衛星の時計はナノ秒レベルで正確でなければなりません。だからGNSSは「衛星測位システム」であると同時に、超高精度な時計のシステムなのです(時間の基礎は → 時間と時計)。
時計くらべ — 放置するとどれだけズレる?
同じ時刻に合わせた時計を、地上と通信せずにそのまま動かし続けたときの誤差。時間の誤差は、そのまま測位の距離誤差(× 光速)になります。バーは距離誤差の大きさ(対数スケール)。
周波数確度は種類ごとの代表値(教材用)。実際は個体・温度・経年変化(エージング)で変わり、原子時計は地上局が常時監視して補正します。クオーツ(水晶)は原子時計に比べ桁違いにドリフトが大きいことに注目。
衛星に積まれた原子時計
クオーツでは足りないので、GNSS衛星は原子時計を積んでいます。原子が特定の周波数の電磁波を吸収・放出する性質を「振り子」に使うと、温度や経年でほとんど狂わない時計になります。多くの衛星は複数台を冗長に搭載し、1台が劣化しても切り替えられます。
| 種類 | 原理(何の原子か) | 安定度の目安 | 特徴 | 採用例 |
|---|---|---|---|---|
| ルビジウム | ルビジウム(Rb)原子 | ~10⁻¹²〜10⁻¹³ | 小型・軽量・省電力。衛星搭載の主力 | GPS / QZSS / Galileo ほか |
| セシウム | セシウム(Cs)原子 | ~10⁻¹³ | 「1秒」の定義そのもの。長期安定に優れる | GPS(一部)/ 地上の標準時 |
| 水素メーザー | 水素(H)原子 | ~10⁻¹⁴〜10⁻¹⁵ | 短期安定が最高クラス。大きく高価 | Galileo(受動型水素メーザー) |
| 光格子時計 ※研究段階 | ストロンチウム等の原子+光の振動 | ~10⁻¹⁸ | 次世代。目盛りが桁違いに細かい。「秒」の再定義候補 | 研究機関(衛星搭載は将来構想) |
| (参考)クオーツ | 水晶の機械振動 | ~10⁻⁶〜10⁻⁹ | 安価だが温度・経年で大きくドリフト | 腕時計・受信機のTCXO |
「1秒」は現在、セシウム原子の放つ電磁波が 9,192,631,770 回振動する時間として定義されています。※「イリジウム」は衛星電話の通信網で、原子時計とは別物です。原子時計もわずかに漂うため、地上管制が誤差を推定してクロック補正値を放送します(→ 誤差と補正、航法メッセージ)。
次世代の時計 — 光格子時計と「時間で高さを測る」
いま各国が競って研究しているのが光格子時計です。セシウムがマイクロ波(毎秒約90億回の振動)を“振り子”に使うのに対し、光格子時計は光の振動(毎秒数百兆回)を使います。目盛りが約10万倍細かいので、精度も桁違い。ストロンチウムなどの原子を、レーザーで作った“光の卵パック(格子)”に整列させて閉じ込め、まとめて測ります(日本の香取秀俊らが先導)。安定度は10⁻¹⁸級——ざっくり約300億年に1秒ずれるかどうか、という世界です。
面白いのは応用です。アインシュタインの相対論では重力が強い(低い)場所ほど時間がゆっくり進みます。光格子時計はこの差を検出できるほど精密なので、2台の時計の進み方を比べるだけで数cmの高低差が分かります(相対論的測地)。「時刻」を突き詰めると、逆に「高さ・位置」が測れる——まさにこのページのテーマそのものです。将来は「秒」の再定義(マイクロ波→光)や、より高精度なGNSSの基盤になると期待されていますが、現状は装置が大きく繊細で、衛星に載せるのはまだ研究・構想段階です。
GNSSの時刻系 — GPS時刻とUTC・うるう秒
原子時計が刻む「途切れない時間」から、各GNSSは自分の時刻系を作ります。ここでうるう秒が絡んできます。私たちが使うUTC(協定世界時)は地球の自転に合わせてときどき1秒を足すのに対し、GPS時刻はうるう秒を入れない連続時間。だから両者は少しずつズレていきます。
TAI(国際原子時)
原子時計を束ねた、うるう秒なしの基準時間。すべての土台。基準
GPS時刻
1980/1/6起点、うるう秒なし。= TAI − 19秒(固定)
UTC(協定世界時)
うるう秒で自転に追随。= TAI − 37秒(2026年時点)
結果としてGPS時刻 − UTC = 18秒(2017年以降)。この差(うるう秒の情報)は航法メッセージで放送され、受信機はGPS時刻を正しいUTCに変換できます。時刻を利用する機器は、この変換を通じてUTCにトレーサブルな正確な時刻を得ます。
時刻同期のユースケース — 「時刻を配る」GNSS
GNSS受信機は位置だけでなく、1秒ちょうどの合図(1PPS=1 pulse per second)とUTC時刻を出力できます。これを時刻源にして、社会インフラの多くが同期しています。
携帯電話網の基地局同期
5GやLTE-TDDは、上り/下りを時間で区切って同じ周波数を共用するため、基地局どうしの時刻をµs単位で揃える必要があります。ズレると隣のセルと干渉し、ハンドオーバーも乱れます。多くの基地局がGNSSの1PPSを基準時計に使います。
要求 ~1.5 µs電力網の同期フェーザ計測(PMU)
広域の電圧・電流の位相を同じ瞬間に測って系統の安定を監視します(WAMS)。全国に散らばった測定器をµs精度のGNSS時刻でタイムスタンプし、位相を突き合わせます。
要求 ~1 µs金融取引のタイムスタンプ
高頻度取引では注文・約定の時刻をUTCにトレーサブルに記録することが規制で求められます(例: 欧州MiFID II)。取引所やサーバがGNSS時刻で同期し、取引の順序を厳密に保ちます。
要求 ~100 µs通信網・データセンターの時刻源
NTP/PTPの最上位サーバ(Stratum-1 / グランドマスター)はGNSS受信機を時刻源にします。分散データベースは時刻の不確かさを使って、離れたサーバ間でも順序と整合性を保ちます。
NTP/PTPデジタル放送(単一周波数網 SFN)
複数の送信所が同じ周波数で同じ信号を同時刻に送ると、電波が広く隙間なく届きます。この「同時刻」をGNSS時刻でそろえます。
µs級科学観測・測地
離れた望遠鏡を結ぶVLBI、全国の地震計、天文観測などは、遠隔地の記録を共通の時刻で結合してはじめて意味を持ちます。GNSS時刻がその物差しです。
ns〜µs級GNSSに頼りすぎるリスク — ホールドオーバーと妨害
これだけ多くのインフラがGNSS時刻に依存すると、GNSSが止まったときが問題になります。受信できなくなった機器は、内部の時計だけで時刻を保つ「ホールドオーバー」に入りますが、その時計(多くはクオーツやルビジウム)は上の「時計くらべ」のとおり少しずつズレていきます。数時間〜数日でµsの許容を超えることもあります。
さらに、GNSS信号は非常に微弱なため妨害(ジャミング)や偽の時刻を送り込む偽装(スプーフィング)の標的になり得ます。時刻インフラでは、複数GNSSの併用、地上時刻源とのバックアップ、異常検知などの対策が重要です(→ 妨害と偽装)。